こんにちは、くり茶。

 

台風一家。大きな音がする雨や風が止み、外は気持ちの良い風と光に溢れている。

 

先日、摂食障害についてのインタビューを受けた。私が摂食障害について悩んでいたのは10代〜20歳頃までのことで、少し忘れていたことでもある。しかし、30歳を過ぎて様々な不調とぶつかり、病院で「うつ病」と診断されてから、摂食障害に悩んだ頃の身体との繋がりについて考える時間が増えたのだった。

 

そんななか、インタビューを受ける機会をいただいたのは偶然で、10年以上しまっていたこの話を、信頼して話したいと思った。その方とゆっくりと話をするのは初めてのことだったが、終わってから時計をみると二時間以上経っており、とても驚いた。こうして文章を書くことは好きだけれど、考えていることを口に出して、会話をすることには、「自分は思っていることを言葉にできているだろうか?」「伝わる言葉になっているだろうか?」「相手を傷つけるようなことを言っていないだろうか?」と常に不安がある。それでも、この時間はすらすらと自分のことを話すことができた。とても不思議だった。それだけ、このことについて考えてきたというのもあるだろう。

 

話をしているなかで気づいたことがいくつかある。ひとつは、家族に対する愛情について。

 

私は14歳のときに整形手術をした。目元を糸で二重にする「二重まぶた埋没法」で、いわゆるプチ整形。これは自分がしたいと思って行ったものではなく、ほとんど母から強制されたものだ。この話だけを書いたら、子どもに整形手術を強要するなんて、なんて親だ、と思う人がいるかもしれない。私も、人生のなかで違和感を覚えたことは何度もあり、母に怒ったこともある。しかし、どうしても憎むことができなかったし、母は私にとって大切な、愛情をもって接したい人間の一人だという事実を、どうしても変えられない。変えられずに、ずっと生きてきた。そのことについて、自分でも疑問があったのだけれど、インタビューで話した際に、少し答えのようなものが見えた気がしている。だからそのことについて少しずつ書いていきたい。

 

そしてもう一つは、自分のなかでひっそりと息をし続けている0か100かの思考について。摂食障害のときのことについては、何度考えても、この思考がベースにあることを否定できない。けれど、そもそもどうしてそうした思考になったのか、そして今はこの思考から卒業できているのか。この思考は自分にとって、悪いことなのかどうか。インタビューで話している中で、0か100かになる際のスイッチが発動するタイミングがあるのかもしれないと考えた。それは、摂食障害が消えたと捉えている今の自分にも存在している。

 

この二つのことについて、それからきっと書き出したらいろんなことがぐるぐると走り出すような気がするから、そうしたことについて書いていきたい。

 

ちなみに、「くり茶」という名前はインタビューを受けた際、出していただいたお茶が「くりほうじ茶」だったことから名付けた。家族のことや、自分の過去は歴史だけれど、誰もがわかる名前で話したり、書いたりすることには抵抗があったから。それでも、自分が自分だとわかる名前がいいと思った。このお茶は、初めて飲んでくりの味がする印象的なお茶で、おいしかった。きっとこの名前は、インタビューのことを思い出すだろうと、この名前にした。

 

今後、なるべく自分だとわからないようにフィクションを交えて話すかもしれない。もし誰かが私のことがわかったら、心のなかにしまっていただけたら幸いです。